東淀工場と一津屋取水場と、不完全な夕空。河川敷で撮ったリフレクションを中心に。

東淀工場 煙突 cigagraphy 河川敷 堤防 クロスバイク コルテマデラ コルトマデラ MARIN CORTE MADERA 水たまり リフレクション

これはなんという完全な肉体なのだろう──と僕は思った。

直子はいつの間にこんな完全な肉体を持つようになったのだろう?

こうすることで僕らはそれぞれの不完全さを分かちあっているんだよ、と。

直子の肉体はあまりにも美しく完成されていたので、僕は性的な興奮すら感じなかった。

引用:村上春樹『 ノルウェイの森 上 』(講談社文庫)

cigagraphy 河川敷 堤防 夕陽 夕焼け 芝生 側溝 水たまり アスファルト リフレクション 影 クロスバイク

あの日見た、あの日写真に収めた夕空は、不完全さを備えていた、ということだ。

雲ひとつない快晴がそのままオレンジに染まり、月と星が浮かぶ群青が黒へとつつがなくスライドしていく一部始終は、なんだか僕には、出来過ぎているように思えてならない。

“出来過ぎている”空を見るたび僕の思考は、文庫本の文字列を追いつつ想像した、ノルウェイの森の直子の肉体とその空とを重ねる。

◇ ◇ ◇

無益なこのブログを始めるにあたり、ネタ探しにクロスバイク“MARIN13 CORTE MADERA SE”を走らせた僕は淀川の岸辺にあたる河川敷にたどり着いた。

cigagraphy 河川敷 堤防 クロスバイク コルテマデラ コルトマデラ MARIN CORTE MADERA 水たまり リフレクション

初心者のクロスバイク選び─とりあえず、やってみる。

強烈な光とエネルギーで、しかし全てを受け容れてくれるような優しさで北摂を、僕の日常を照らす夕陽。

その夕陽が率いる空にはところどころに雲が浮かび、夕陽に魅了されて薄い灰色でもっちりとした影と化していくものもあれば、

群れることを嫌がるようにあさっての方向に身を投げるも次第に夕陽の誘惑に吸い込まれていく、そんなものもあった。

幼い頃、画用紙とクレヨンで晴れた空を描くとき、空を水色一色で仕上げることはなかったはずだ。おそらくそこに、吹き出しのような輪郭の中を白で上塗りしただろう。

童心にとっての空には、童心にとっての雲。雲は空に欠かせない道具だからであろう。

完全な肉体には興奮しない。完璧な快晴には、しかしどこか物足りなさを感じる。

肉体にどことなく感じる不完全さ。快晴にどことなく存在する、雲という、ささやかな不完全さ。僕はそこに感動する。

gagraphy 河川敷 芝生 堤防 夕陽 夕焼け 東淀工場 煙突 焼却場 日差し 雲 アンテナ 一津屋取水場

写真中央は、大阪市環境局東淀工場である。大阪市民が排出した日常生活の残骸はここに運ばれ、950℃にまで燃え盛ることもある“ストーカ式ごみ焼却炉”へと流れつき、

日量400トンのペースで、昇天していく煙と姿を変える。永遠の眠りの世界へと残骸を送り出す煙突の高さは、120メートルにも及ぶそうだ。

高い煙突は「大阪市環境局東淀工場」でした─ahisats3のブログ

環境局東淀工場─快適 見聞を広めて

この日は雨の翌日で、河川敷を包む緑は水分と湿度を十二分に溜め込んでいた。

夕陽の光を浴びながら白いワンピースをまとった長い黒髪の女性が夢中で駆け出すとして、その足を預かる秋めいた暖色に馴染んだ芝生はしかし、彼女の足を絡みつくどころかワンピースを漆黒に染めんばかりの、夥しい泥を抱えていた。

cigagraphy 河川敷 堤防 夕陽 夕焼け 芝生 側溝 水たまり アスファルト リフレクション 東淀工場 煙突 焼却場 日差し

そんな河川敷に溜まった余分な雨を吸いとるための排水口。踏みしめると靴下にまで染み込もうとする、緑に潜んだ厄介な水分をかち割り、

粘着質な泥をしっかりと踏みしめられる土へと舗装するような、まるでモーセが海に拓いた道である。

その道の向こうに、役割を終えた残骸の魂を天に還す煙突、地と天とを結ぶシナイ山のごとき東淀工場へとたどり着く。

モーセに十戒を与えたシナイ山のリフレクションが、こちらである。いたずらに大地を濡らす雨雲に手を振った河川敷のアスファルトは表面に残した余韻とともに、やや不完全で魅力的な夕空を迎え入れた。

cigagraphy 河川敷 堤防 夕陽 夕焼け 水たまり アスファルト リフレクション 東淀工場 煙突 焼却場 日差し

それに飽き足らず余韻とアスファルトは無数の凹凸の狭間で戯れる。そこに細分化された夕陽の閃光が屈折して、最も美しい黒い宝石の上でオレンジ色が揺れる。

夕空と宝石、麗らかで煌びやかに反射するキャンバスは自らの手と筆で、自らの体に煙突を刺した。北摂のこの場所に、120メートルの煙突を新たに生み出したのである。

gagraphy 河川敷 堤防 夕陽 夕焼け 水たまり アスファルト リフレクション 東淀工場 煙突 焼却場 日差し 雲

煙突の頂上を申し訳なげに通りがかる雲はさっさと夕陽の力を借りて灰色に化け、煙を演じている。

演じてはいるのだが、先端の狭い幅から立ち昇るように映る絶妙な重なりは試みず、あえて見切れることで、煙に似てはいるが煙になりきれていないお茶目な自分を作りあげたのだろう。

完全な自分なら相手が靡かない。隙のない女に男は引いてしまう。そうは見えないのに少し鈍臭い、その高低差を親近感と捉えた男が距離を縮めようとする。ソイツを落としてやる。

この雲は男に媚びる端正な女だ。水たまりに浮かぶその姿は、案の定美しい。しかしその美しさから満ちているのは、卑しい策略である。

gagraphy 河川敷 堤防 夕陽 夕焼け 水たまり アスファルト リフレクション 東淀工場 煙突 焼却場 日差し 雲 アンテナ 一津屋取水場

煙突の隣で背筋を伸ばしている痩身のアンテナはどうだろう。

大阪府民が暮らす家の蛇口を勢いよくひねれば雪崩れるように飛び出す水道水。または、モノづくりの聖地大阪に林立する工場で知恵と技術の結晶を生み出すアイテムとしての工業用水

この水を“作る”ための原資を淀川から汲んでいる、大阪広域水道企業団一津屋取水場

一津屋取水場 看板 大阪広域水道企業団 庭窪浄水場 三島浄水場 雲 淀川

一津屋樋門(ひとつやひもん)摂津市一津屋地先─”PeRo”の気まま流家庭菜園 に、一津屋取水場の写真が掲載されています。

その取水場で観測された淀川の水位や、汲み取った水量を発信しているのだろう。

東淀工場の煙突と一津屋取水場のアンテナ。属している場所も別、役割も全く別ではあるのだが、このアンテナ、間違いなく煙突のことを意識している。

日々400トンのペースで成す力技。そのパワーの象徴が煙突ならば、こちらは水位水量を数値化して本部へ情報を伝送している、取水場の頭脳。

全てを力で解決せんとする野蛮さは嫌いさ、冷静に情報で戦うのが粋なんだよ、と水面という鏡張りのランウェイに立ち、くびれた体でしなやかにポージングを決める。

そのポージングが縦のシンメトリーとなり、圧巻の存在感がリフレクションの中へ伸びている。

しかしこのアンテナ、

cigagraphy 絵 蚊 アンテナ

不完全もいいところの骨だらけの肉体をしているうえに、パラボラの部分が蚊の頭にも似て気味が悪いし、禍々しい。

では、自転車に乗ったこのオジサンはどうだろう。リフレクションという美しさの表側とともに本性という裏側を映す鏡は、このオジサンに、醜さ、いやらしさを見透かしているだろうか。

東淀工場 煙突 cigagraphy 河川敷 堤防 自転車 おじさん オッサン 水たまり リフレクション

いや、そうではない。このオジサンはたまたま、ここを通りがかっただけだ。たまたま通りがかってくれたから、この風景に人が映ることで、それだけでこの写真に温もりが増すというものだ。

950℃の焼却炉とも、6000℃の夕陽の表面ともまた違う、36℃前後の温もりが、この写真にはとてもありがたい存在である。オジサン、ありがとう。

河川敷 cigagraphy 煙突 夕陽 夕焼け 夕空 工場 雲

夕陽とリフレクション。自然が創り上げる芸術。人間がいかなる叡智を使い果たしても模すことはできない、自然と自然の重なり。

勝ることはできないのなら、その美しさに心地の良い不釣り合いを添えることは可能であろう。それが、人工物。

自然と人工との融合により生まれたリフレクションは一見、完全である。完全な美しさから醜さなどは見えてこない、はずだ。

しかし、その醜さが完全であるはずの風景から垣間見えた。自然から漏れ出た、媚びる雲の卑しさ、人工物から浮き出た痩身の蚊の禍々しさである。

そんな美しさも含めて目を覆いたくなるような醜さ。美しさの影にある、精神の卑しさ、外形の禍々しさ。人はそれを否定する。糾弾する。排除する。

けれど、自らも全てを持っている。卑しさも、禍々しさも。自らを差し置いてでも他のそれを消し去ろうとするその思想に、表情に、それら全ては備わっている。

それで良い。それが人間である。

 東淀工場 煙突 焼却場 日差し cigagraphy 工場 夕焼け 夕陽 夕空 雲 アンテナ

卑しさも禍々しさもない、醜さが浮き出てこない完全な人間に僕は靡かない。完全な人間になどなれないと、自分で分かっているから。自分が醜いものを持っていると、自覚しているから。

自分は不完全だから、完全な人間は自分にとって全く参考にならない。眼中にない。自分と同じ不完全な人に、不完全であることに悩み、その悩みと上手く付き合っていこうと決めた人に僕は靡く。

完全な人間に奉仕されるのではなく、不完全な人間の、その欠けている部分を僕の足り得るもので埋めてあげたい。

不完全さを分かち合う。満ち満ちているものも、恐ろしいほどに欠けている部分も、両方を愛し、欠けているなら満ちるもので互いを埋め合わせる。

端から欠けていない部分のない完全より、欠けている部分を互いに埋め合わせることで完全に見えるようになったもの。“完全”よりも、“完全に見える”ほうが美しくはないか。僕ならその完全を見たい。

不完全な肉体に性的な興奮を覚える。ノルウェイの森の主人公ワタナベを通して村上春樹が世に投げた主張は、不完全な人間、不完全たる醜さ、醜さたる自責に対しての受容と、寛容だったのではないか。

その受容と寛容に基づけば、出来損ないを演じる雲の卑しさも、蚊にも似たアンテナの禍々しさも、それというのは完全を求めて手を取り合える、不完全という、醜さという信頼なのであろう。

◇ ◇ ◇

その結論に行き着いたとき、「あれ? じゃあ自転車のオジサンはどうなるんだ?」と自分自身に問うてみた。

東淀工場 煙突 cigagraphy 河川敷 堤防 自転車 おじさん オッサン 水たまり リフレクション

オジサンからは醜さもいやらしさも全く感じなかった。リフレクションの鏡の向こう側へとペダルを漕いでいったオジサンに僕は感謝の気持ち、それ以外は持っていない。

すなわちオジサンこそが、完全な人間なのだ……。僕は完全な人間には靡かない、眼中にない。もちろん性的な興奮も覚えない。なぜって、オジサンだよ? 無理無理無理、たとえ不完全でも無理。よかったむしろオジサンが完全で、うーん。

うん。うん、さようならオジサン。感謝はしてる、ありがとう。でも、まあ別にいいや。うん、またどっかでね、はい。

 

関連記事

北摂の特徴を詩のように挙げてみた。“北摂の本”はちゃんと北摂を紹介している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)