【2000字】子供の読書離れ、若者の活字離れに、対策を打つ必要は無いと僕は思います。~cigagraphyの吸い殻みたいなニュース~

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こんにちは、くれそんです。

 

今回は、
読書離れと中学生 読み書きが全ての出発点
─ AGARA 紀伊民報 論 ─(2018年8月7日付)

という社説を参考に、当ブログの筆者の僕なりに思ったことを書きました。

 

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県内中学生の読書離れが止まらない。

参照:読書離れと中学生 読み書きが全ての出発点
─ AGARA 紀伊民報 論 ─(2018年8月7日付)

 

 と社説が嘆いている。

 

 読書離れなるものを、和歌山県の中学生の学力テストの点数が全国平均より低かった、という視点で嘆き、読書に興味を持てばゆくゆく、学力は向上する、と仮説を立てる。

 

 そんな社説がまかり通るから、読書離れが止まらないんだ。

 

 子供達が本に触れない理由。それは、こういう考えの人間が教育を司り、論じるから。子供が無意識に読書を敬遠する環境を作っているからだ。

 

♢ ♢ ♢

 

 作者の手を離れ世に放たれた作品は、もはや読者のものである。

 

 読者の解釈が作者の意図と異なっていても、曲解であっても、その読み解き方で読者の心が震えるのなら、作品は読者にどこまでも寛容であるはずだ。

 

感想の持ち方など自由だし、答えなんて無い。

 

 

 だが、作品を読み自由に感想を抱いた誰かが、一節を選り好み、設問を立て、受験者に提示した途端。

 どこまでも読者に寛容なはずの作品に、正解不正解の概念が生まれる。

 

 その誰かの主観が生んだ、誰かの感想=正解の感想、という『国語』の掟に、受験者は自由を奪われる。

 

 受験者も受験者で、進路の為ならと自由を捨ててまで点数を授かろうと、解答用紙の向こうにいる、どこの誰かも分からない作成者の心を察した『答』を書き殴っていく。

 

 例年の作成者の主観を分析し、効率的に作成者の気持ちに寄り添える自分になる方法を列挙した、入試対策という名の自己啓発本が本屋に並ぶ。

 

 こう読んでこう正解しよう、と教え、気持ちの抱き方に点数を付ける、現状の『国語』の世界は、どう読んでどう感じても自由な活字の世界とは、対極にある。

 

 

 本を汚すな。読書を汚すな。

 

 めくったページに広がる世界に感動したくて、読書はするものなんだ。ただ、それだけだ。ただそれだけの読書が、一番面白いんだよ。

 

 気持ちの抱き方に点数を付けられる人間になる為に、思う自由感じる自由を手離す為に、読書という自由を手にする。それがいかに歪んだ事かを社説は書けよ。

 

 自分の知らない人や場所、空想に満ちた時代や物語に、読書を通じて触れている最中、どこか奥の方に、テストの点数の増減という子供には半ば脅迫にも似た日常が透けて見えれば、途端に本を閉じて他に非日常を求めるに決まってるだろ。

 

「新聞を読んでいるか」という項目も興味深い。「ほぼ毎日読んでいる」層のテスト正答率は、(中略)

参照:読書離れと中学生 読み書きが全ての出発点
─ AGARA 紀伊民報 論 ─(2018年8月7日付)

 

 という、新聞を読む事とテストの点数との相関を紹介する部分。

 

 テストで良い点取りたきゃ新聞を読め。親は子供の為に新聞を定期購読しろ。

 

 社説の本音はコレだ。

 

 

 読書活字離れによる出版不況が叫ばれる。ここ最近現れた小さな端末が映し出す娯楽や媒体に、多くの人の食指が動いたのは事実なのだろう。

 

 一方、ネットの普及で文字情報が安価になった今、固定費と流通コストのかさむ既存の業界が苦しむのは必然だ。

 

 時代が流れている事と、時代の流れに乗れない事。両方伝えるべきなのに、本を読まない子供悪玉論のみ垂れる社説。それは報道じゃない。購読数が増えない事への僻みだろ。

 

♢ ♢ ♢

 

 読書の楽しさを啓蒙せんと和歌山県が取り組んでいる主に3つの施策を社説は紹介しているが、その施策は施策を打っていないのと同じだ。

 

 図書室開放のそれに関して言えば、正直なところ、それまで読書を嫌忌していた僕を一変させてくれた場所が、高校の放課後の図書室だったので、無意味ではないのだろう。

 

 ただ、開放された図書室で本を読んだ15年前の僕みたいな人が他にもいただろうに、15年経ち未だ読書離れが止まらないのだから、無意味ではないが効果も無いという事だ。

 

それにだ。正解の感想を求めさせる為の読書の啓蒙の域を出ないのなら、むしろ施策など打つな。

 

 

 読書が好きな僕が我ながら言うが、延々続く活字を目で追い想像し続ける作業は、素質が無いとできない。

 そして素質の無い人は、これからも読書はしないだろう。

 

 素質ある人間は、言葉に救われたくて小説を読む時を、情報武装したくてビジネス書を読む時を、人生のいつかに迎えるはずだ。幼き頃から活字に触れていなくても。

 

 素質の有無は遺伝か、生まれて数年でほぼ決まるだろう。本を読む子供が増えるには、素質ある子供を素質ある大人が生むしかない。人口自体が増えなきゃ結局ダメだ。

 

 小手先で打てる対策など無い。だから対策など打たなくて良い。

 

 離れていく人の波にさらわれず確実に活字を読む貴重な人間を、出版業界は確実に囲い込み、読者が少なかろうが利益の出せる仕組みを早急に構築すべきだ。打つべき対策はそれかな。

 

 もし教育側が、活字を追える素質を秘めた子供達を逃したくないのなら、テストの点数の増減への恐怖に子供を陥らせ、読書する余裕をも削ぐような現在の試験制度を廃止すれば良い。

 

 

 ちなみに。この文章は、社説を読んだ僕の主観だ。

 

 皆さんは、社説と僕の文章に、どんな感想でも自由に持ってください。少なくとも僕の文章に『答』はありません。

 

 

 

(2,000字 ※行間のスペース、注釈、記号は除く。)

 

 

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